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2007年10月

2007年10月 8日 (月)

奄民学 取材第一弾 ゲスト日刊紙南海日日新聞 松井輝美さんです

題して「山中順子の異話響談」

(異なる世界の人々の話を、共鳴し合うという意味の造語)

Dsc_0453

今回の「響談」のお相手は・・・・

奄美大島の日刊紙南海日日新聞にお勤めの松井輝美さんです。

1950年、熊本県荒尾市生まれ。

奄美大島に住まわれて30年余の松井さんと「私の奄美」というテーマで、

お話をさせていただきました。

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Photo_7 山中 松井さんは島巡りの果てに奄美にたどり着いたようですね。★
松井 「たどり着いた」という表現がいいですね。その通りです。
     「会社ではなく
島に 就職したい」と

         学生時代に、日本の北から南まで、外海離島を漂っていました。

         その中で、僕の中の野生が「響鳴」し、文字通りたどり着いたの

    が奄美大島でした。


    呼ばれた、伝わった、と言う感触でしたね。


山中 実は、私は自分自身の居場所(故郷)は自分で探すもの
だと感じていたので、国内外問わず、時間が

    あれば旅をしておりました。シマとであったのは7年前になります。
    会社に奄美のスタッフが就職
したのがきっかけで、奄美大島が鹿児島県だと言うことを知りました。(笑い)

    当時、タレント養成所を横浜で経営しておりまして、モデルの写真 集の撮影を期に奄美大島ロケをした

    のがきっかけです。

    現在は制作プロダクションとしてキャスティング、企画制作や撮影の仕事がメインですが、私の仕事は

    初めにロケハンという現地調査をするのが基本なので、スタッフと先に奄美に入りました。

Photo_8

    そのとき立った砂浜で「ココに来るべきだった」 と、

   海の向こうから吹く穏やかな風に知らされました。

   解りやすくいうと、血が騒いだんですね。

         ところで、なぜ松井さんは「外海離島の奄美

         なんでしょうね。

       本文は次に続く~


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2007年10月 2日 (火)

奄美群島 百歳「世紀を超えたメーセージ」

Blog ハルさんとの出会いと旅立ち

「花ならば匂ひ 枝ぶりやいらぬ なりふりやいらぬ 人(ちゅ)や心」

花は姿かたちよりも匂いが尊ばれて美しい、人間も同じ、容姿よりも心が美しいのが尊いと教えてくれました。

強い意志を秘めたうなりがみ(姉妹の海の神)ような優しい女性のハルちゃん。

 

加計呂麻島 諸鈍

珊瑚層を通り抜けた奄美の海の底から水が湧き出で山や森林によって命水は育まれる。

サンサンと降り注ぐ太陽と、栄養をいっぱいに含んだ水で島のさとうきびを育て、あんま達は黒糖を作る生活をおくって暮らしてきた。

奄美の長い歴史は「さとうきび」で暮らしてきたのです。

明治維新の財源になっているという歴史背景を持ち、何百年も奄美の人々はこの繰り返しの中で生まれ育ったのです。

「大島紬の機織りで暮らしを支え、さとうきびを圧搾し黒糖作りに、薪を割るのが大変で、加計呂麻島伝統のきび酢つくりで家庭を支えるのが大変だった」と話してくれました。

今では、加計呂麻島に3件の製糖工場が残っているだけです。

奄美に導かれ旅を重ね、人・命・食・自然に興味を持ち研究を始め、奄美大島の最南端にある島、瀬戸内、加計呂麻島のさとうきびの素晴らしさに気が付き「幻のきび酢」を紐解いてゆくと、加計呂麻島の製糖さとうきび工場を支えてきた上田ハルさんに繋がる事をつい最近知らされました。

出会いの縁とは不思議ですね、こんなにも偶然で必然なのだと思い知らされます、私にとって奄美とは強くて深いものなのだと驚かされるばかりです。_

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